マイノリティへGo!
はじめに
こんにちは。
この日記は、Kosen Advent Calendar by Teachers(http://kosen-teachers.tumblr.com/about)の一環として執筆しています。
12月11日を担当させていただく、苫小牧高専情報工学科の原田(@kubyaddi)です。
今回執筆する機会を与えて下さった、じゅんさんこと大和田純(@june29)さんに感謝します。
しかし11日を過ぎてしまった…。
皆さん、ごめんなさい。
アドベントについて
アドベントカレンダーということですが、私はクリスチャンなので、「アドベント(待降節)」には、そうでない人と比べて思い入れはあるでしょう。
毎週の礼拝では、4本のロウソクに一本ずつ火が灯っていきます。
「アドベント」は「アドベンチャー」と原語は同じです。
神の御子である、イエス・キリストがわたしたちのために、この世に生まれて下さったのを祝うのがクリスマスです。
この世は、罪で満ちている。それを赦すためにイエスは、神であるにもかかわらず、人間の世に来て下さった。
そういう意味で、神の御子がこの世を「冒険する」という意味で、「アドベント」なのです。
今日の話
今回は、私が高専に入るまでの経緯を紹介させて頂きます。
特に、これから高専を受験すると既に決めている中学生に対して、今後の流れをイメージできれば幸いです。
また、人それぞれ違うので、一つのモデルとして捉えていただければ幸いです。
予め、申し上げておきますが、私は高専カンファレンスには、数年前に1回(高専カンファレンス in 北海道 - 高専カンファレンス Wiki)しか出たことありません。
したがって、最近の高専カンファネタにはついていく自信がありませんので、あしからず。
機会があったら参加したいとも思っています。
高専に入るきっかけ
中学時代、私の通っていた私立中学は、そのままエレベーター式に高校に入れる仕組みになっていました。
私自身も、中学3年生の夏まではそのように考えていました。
ところが、私のおじが豊田高専を紹介してくれました。
当時、私はパソコンとインターネット、またフリーソフト集め(?)が趣味になっていましたので、それを知ったおじが取り計らってくれたのでしょう。
その時、私は高専を知りました。
そして、ぜひ入りたいと思うようになりました。
また、おじは入ってコンピュータの勉強をするのなら、情報より基礎である電気に入った方がいいとアドバイスをくれました。
豊田高専には情報工学科もあり、私はそちらに行こうとしていましたが、おじのアドバイスを受け入れ、電気・電子システム工学科を希望しました。
受験
夏に受験することが決まってから、受験勉強を始めました。
周りは受験モードではないので、自分の気持ちを維持するのが大変でした。
当時スラムダンクが流行っていたので「打倒、高専!」と書いた紙を机の前に貼って勉強していました。
受験までに、問題集を各教科数冊ずつやって、過去問を何度も解きました。
多分、この時期が人生で一番勉強したのではないでしょうか。
平日はうちに4時半くらいに帰るとして、そこから7時まで勉強し、夕食を食べて12時まで勉強していました。
土日は昼から夜12時まで勉強していました。
そしていよいよ受験です。
実は、これまでに私の一人の友人も、私が高専を受験するのを知って、高専を受験するのを決めたようです。
彼と一緒に試験会場に向かいました。
彼は別の学科を受験しました。
自己採点
受験が終わり、自己採点です。
私の場合は、理科は1問不正解でした。
また、英語も9割できていたと記憶しています。
他の教科は、それよりも悪かったです。
あくまで自己採点ですよ。
推薦学力同時受験
後から知ったのですが、推薦と学力は両方受けれます。
私は、募集要項を読み間違えて、お金が2倍かかると勘違いし、落ちる可能性の高い推薦は受けませんでした。
しかし、実際は追加料金は払わなくてよかったのです。
入学してから知り、結果オーライとは言えども、受けとけば良かったと思わされました。
合格発表
合格発表は、私は現地に行かず、おばに見てもらいました。
おばが母に連絡し、母が学校に連絡し、担任が放送で私を呼び出しました。
なんという連携プレー。
果たして合格したわけです。
私の友人も無事合格しました。
私は、高専に不合格だったら、他の高校を受ける予定でした。
もうすでに、エレベーター式で上がろうとは考えてはいませんでした。
(もちろん、最後の手段としては取ってありましたが。)
プログラミングとの出会い
高専への入学が決まり、春休みにブルーバックスの「Visual Basicで始めるプログラミング」に出会い、以降プログラミングが好きになりました。
それまでは、「プログラミング」という言葉は知ってはいても興味がなかったのです。
本に付属していたVisual Basic 5.0 のフリー版を自宅のパソコンに導入し、自分が欲しい機能を有するアプリケーションを作る喜びを知りました。
しかし、本に付属していたものは、独立したアプリケーションを作ることができなかったので、少し物足りなかったのを覚えています。
入寮準備
入学に際して、必要な物を揃える必要が出てきました。
豊田高専は1,2年生は全寮制のため、寮に入る準備が必要でした。
思いもしませんでしたが、その時購入した、鍋とフライパンを未だに使っています。
卒業式
中学卒業式の時には泣きました。
周りがほとんど同じところに行くのに対して、私を含むごく少数が他校に行くという状況でした。
彼らに再び会うことができたのは、成人式の時でした。
今でこそ、TwitterやFacebookなどのSNSでつながりを保つことができたかもしれないですが、
当時は、携帯電話が出始めた頃なので、一部のおぼっちゃんが持っている程度でした。
今考えたら、私もまた、一部の友人とMSN Messengerでつながっていました。当時のバージョンは1.0または2.0らしいです。
しかし実際にはほとんど連絡が取れない状態になりました。